昨夜の寝つきはまぁまぁ良かったのだが、2時30頃に目が覚めそこからはぐっすりとは眠れなかった。
結局4時頃にうまいことまた目が覚めたので起き上がり、朝活動を開始することに。
私が最終目標としている起床時間は午前4時なのでなんかちょうどいい。
▼前回の記事
誰もいないリビングで1人朝活。
ここの朝食は棚にあるパンやコーヒーをセルフで調理して食べるというスタイルだったので、朝4時から一人でコーヒーを入れパンをトースターで焼きジャムを塗っていただいた。
完全に自己満の世界だが、こんな簡単な朝食でも早起きして朝活の一環として食べるとかなり贅沢なものに感じてしまう。
リスボン行きのバスが10時発だったため、余裕を持って8時30頃には宿を出た。
この時期のスペインの夜明けはなぜか遅い。
朝7時を過ぎても外はまだ暗い。
8時に近づいてきた頃ようやく明るくなってきたという印象だ。
昨晩の人混みが嘘のように、日曜の朝のソル広場は静まり返っていた。
しかしビール缶のゴミが大量に捨ててあり、警備の人みたいなのが一生懸命お掃除している。
昨夜のパーティーぶりがうかがえる。
毎週、いや、もし毎日こんな感じなら大変だなぁ、
なんて思いながらその光景を横目にエレベーターに乗り地下へおりた。
今回もメトロではなくrenfeのセルカニアスで移動。
メトロは工事中かなんかで閉鎖されていた。
アトーチャ駅でC1もしくはC10の線に乗り換え、
そこからマドリードに到着した時の駅である Méndez Álvaro駅(すなわちマドリードバスターミナル)へ向かう。
時間に余裕を持ちマドリードバスターミナルに到着。
相方は昨日の夜からろくに何も食べていなかったので、
カフェみたいなところで毎度おなじみパンとジュースとコーヒーのセットをいただいた。
ご飯を食べ終えると出発15分前くらいにはなっていた。
早速、チケットを見せリスボン行きのバスに乗り込む。
マドリード〜リスボンまではavanzaバスで1人43.3ユーロ(約5000円)。
我々の便は午前10時発で所要時間は約8時間だった。
ちなみにチケットは印刷していない。
(今の所チケットを印刷していないがために何か問題が起きるということは発生していない。)
最初の休憩場所に到着したのがだいたいお昼頃。
”今だ!”
と思い、昨日の夜にこしらえておいた豚肉の醤油焼きと一昨日から残っているフランスパンを頬張った。
豚肉にはガーリックパウダーをふんだんに使用してあるので、さすがにバスの中で食べるという気にはなれなかったのだ。
フランスパンはカッチカチに固まっており、それはもうラスクと呼んだ方が適切だったかもしれない。。
バスの運転は荒く、急発進急ブレーキ急右左折なんて当たり前。
ハイウェイに入ってしまえば問題はないのだが、街中の運転はわたしをイラつかせるほど雑なものだった。
ハイウェイを走っている間はほとんど何もない大地に木が生えている景色が続いた。
成熟社会と言われる現代においても、まだこんなにも土地が余っているものなのか。
この土地は何かを生み出しているのか?
人口爆発により将来はこのような土地もどんどんと街化していってしまうのか?
基本的にはカーテンを閉め外の景色はあまり見ていなかったが、たまにそんなことを思いながら外を眺めていたりもしていた。
前の席に乗っていた黒人の姉妹が元気で移動ちゅうずーと騒いでいた。
こうして塗り絵をしている時はおとなしかった。
16時50分ごろ、ようやくリスボンに到着。
マドリードとは1時間の時差。
8時間のバス移動は今のところ今回の旅の中では最長となったが、想像より長く感じた。
確かマドリード-ポルト間のフライトが1万円しないくらいで出ていたので、フライトを利用した方がコスパ的にはいいと言える。
(マドリード-リスボンもそう高くない値段で出ていた。)
それに早めに予約をすれば数千円という破格の値段でのフライトが可能だった気がする。
どこの便にも言えることなのだが、日程が決まったらまずフライトを調べてみるといいだろう。
それはさておき、リスボンのバスターミナルは意外と大きいものであった。
我々は市内行きのバスを探して歩き回っていたが、なかなかおめあてのバスを見つけることができない。
何度か人に聞きながら、なんとかバス停を発見することができた。
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15分間隔くらいで運行しているという728番のバスに乗り市内まで行く。
バス停はこの大きな駅の北側に存在していた。
このようにトンネルの下で少しわかりづらかった。
市内中心へ行くだけあってたくさんの人がバスに乗り込む。
料金は1人1.8ユーロ(約207円)。
席が空いていないので立ちで向かうことになった。
バスが進むにつれ、乗客はどんどん増える一方だった。
途中、もう入らないのでは?と思うくらい人が詰まってしまうほど。
そしてあるバス停に停車してからバスがなかなか発進しないという状況になった。
人が詰まって入れないので発進しないのか?
なんて軽く思っていると、ついに我々の隣にいたおっさんの堪忍袋が切れてしまった様子。
私はポルトガル語は全く話せないが、運転手に対して、
『どんだけ待たせんだよ!早く出発しろよ!』
的なことを言っているのはその状況とジェスチャーから明白だった。
すると負けじと運転手も席を立ちそのおっさんに対して何か言っている。
運転手の言っている内容は予想すら出来ないほど理解不能だったが、なかなか言い争いが収まる気配はない。
すると突然運転手が自分の荷物であるリュックを背負いバスを降りて行ってしまった。。
”おいおい、口喧嘩でやる気なくして今日はもう仕事終了か?”
なんていう最低最悪な結末を想像している矢先、新たな運転手がバスに乗り込んできた。
なんと、このタイミングで運転手を交代したのだ。
なぜだ。。。
新たな運転手は打って変わってほんのり笑顔と優しい声のトーンで乗客に向かって何か言い始めた。
我々が予想するに『申し訳ございませんでした。』的なことを言って丁寧に謝罪をしている様子。
するとさっきのおっさんを含め今度は乗客の多数が運転手に向かって、
『そんなことはどうでもいいから早く出発しろよ!』
的なことを言って騒ぎ出した。
運転手はそれでも謝罪を続けようとするが、そうすればそうするほど大勢の乗客から非難されるという状況。。
全く、荒れ狂ってるな。。
結局運転手は言いたいことを全部言えなかった様子で渋々運転席に着き運転を開始。
なんとも、ポルトガルではこのようなことは日常茶飯事なのか?
ポルトガル人は短気な気質なのか?
出だしから少し先行きが不安になる出来事だった。
ちなみに1番最初に騒ぎ出したおっさんはわずか1駅進んだとこでバスを降りて行った。
このくらいの距離だったらわーわー言う前にバスを降りて歩いて行った方が確実に早かったであろうに。。
結局市街地に着くまでに45分ほどかかった。
バスを降りて徒歩10分以内の場所に本日の宿はある。
ここリスボンには坂が多く、宿までの道のりもかなり長い上り坂を上らなくてはならなかったので、大荷物を持った状態ではとても10分では到着できなかった。
特に相方のオスプレイは何度坂から転がり落ちそうになったかわからないと言う。
今回のホテルは
5 Sins Chiado Hostel(5 シン シアード ホステル)
というところ。
リスボン観光の中心地に立地しており、キッチンと朝食付き。
小洒落たデザインのロビーで各設備もきれいなドミトリータイプのホステル。
料金は3泊2人で10464円。1人1泊1744円計算。
最初は最安の10人部屋で予約していたのだが、ホステル側の都合で7人部屋に変更してくれていた。
もちろん料金は据え置き。ラッキーだった。
部屋からは外の通りが見渡せた。
宿のすぐ隣にリスボンの観光名所の一つであるサンタ・ジュスタのリフトがあり、見上げればその渡り廊下があった。
ドミに荷物を置き少しくつろいだ後はスーパーへ買い物に出かけた。
徒歩数分のところにあるPingo Doce(ピング・ドゥース)というスーパーだ。
(ピングドゥースはポルトガル滞在中ヘビーユーズしていた。)
ここで、
牛肉2枚を1.41ユーロ(約162円)、
玉ねぎ3つを0.32ユーロ(約36円)、
トマト1個を0.18ユーロ(約20円)、
エッグタルト(パステルデナタ)4個を2.6ユーロ(約297円)、
水1.5リットルを0・54ユーロ(約61円)で購入した。
宿に戻り早速料理を開始。
棚に置いてある使いかけのパスタは使っていいものなのかと宿の人に聞くと、
名前が書いてなければいいということだったので遠慮なく使わせてもらった。
相変わらずの切れにくい包丁で野菜を切る。
安さのあまり買ってしまった久しぶりの牛肉。
丸ごと焼いてステーキにする。
トウガラシと塩胡椒とオリーブオイルとガーリックパウダーで味付けしたパスタを皿に盛り付ける。
今夜の献立は2日連続ペペロンチーノとステーキ。
ペペロンチーノには味がほとんどなく、結局は醤油をかけていただいた。
おそらく具材にベーコンを使えばもっと美味しい味になっただろう。
デザートでポルトガル名物エッグタルト(パステル・デ・ナタ)をいただいた。
スーパークオリティーでも普通に美味しかった。
そして安い。
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食事を終えて外を眺めているとなんだか散歩に出かけたくなったので私一人でリスボンの街の夜散歩に出かけた。
宿隣のサンタ・ジュスタのリフトにはこの時間でも待ちの列ができていた。
名物のエッグタルトは街のいたるところで売られていた。
メイン通りをまっすぐと広場の方へ向かっていくと海に出た。
正確にはまだここはタホ川で海ではないらしいが。
といっても、波もあってその見た目はほとんど海のようなものだ。
タホ川といえばそう、あのスペインのトレドの町を囲んでいた川もタホ川だった。
たくさんの人が夜の海を見つめながら黄昏ていた(?)
私も海辺に座り海を見た。
”ここが大航海時代に繁栄した港かぁ。”
”バスコ・ダ・ガマを含むたくさんの航海士がこの港から航海という冒険に出て行ったのかぁ。”
などと思うと少し心が踊った。
しばらく海沿いに滞在してから宿に戻った。
宿に戻れば後はシャワーを浴びて寝るだけだ。
もう朝型生活にも慣れてきているので夜にパソコンやスマホを長時間いじるなんてことはしない。
どうかこの習慣がこれからも続きますように。
明日はリスボンの街を散策します。