アメリカ横断2つ目の都市はシカゴ。
お昼にシカゴ名物シカゴピザを堪能し、
ミレニアム・パーク内にあるクラウドゲート、通称ザ・ビーンを次の目的とし街を歩いた。
▼前回の記事(シカゴ前半)
▼アメリカ横断まとめ【完全版】
1871年に起こったシカゴ大火により焼け野原となったシカゴ。
その後木造住宅を禁止した新都市計画により多くの建築家がシカゴに集まるようになり
高層建築設立ラッシュが起こった。
その後急速に復興していったシカゴは、
摩天楼がそびえ立つアメリカ型都市の起源となった。
それゆえシカゴは『摩天楼発祥の街』と言われている。
ニューヨークの大規模な摩天楼を見たことがある私は正直シカゴのそれにあまり期待を持っていなかったのだが、
実際来てみたらすごかった。
これは夜景も美しいはず。
また1つ、シカゴでの楽しみが増えた。
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バッキンガム噴水に寄り道し、
そこから北方面に進路をとるとミレミアム・パークはある。
バッキンガム噴水より、途中その辺にあった名もなき噴水の方が趣深かかった。
シカゴの壮大な摩天楼を背景にドンと鎮座しているのが『ザ・ビーン』。
その愛称通り、豆のような形。
滑らかなメタリックボディーはまるで鏡のように周りのものを映し出している。
これを見て、
映画『ターミネータ−2』のT-1000を思い出してしまうの私だけだろうか。。
本名は『クラウド・ゲート』というこのパブリックアートは、
2004年〜2006年にかけてインド出身の彫刻家アニッシュ・カプーアによって作成された巨大彫刻。
その歴史の浅さ、作者がインド出身というのは意外だった。
ザ・ビーンの下をくぐることができ、そこには不思議な世界が広がる。
外観は豆に見えるこのザ・ビーンだが、
内部は窪んでおりそれはまるで赤血球のような形。
真下に入りくぼみの部分を見上げるとこのようによくわからない景色が広がる。
一通りザ・ビーンを楽しんだら、
次の目的地をなんとなくネイビー・ピアという港に設定した。
途中で大きなクライミングウォールを見つけ近くに寄ってみたが、
もちろん登るのにはある程度のお金が必要。
見学だけして先を急いだ。
ネイビー・ピアは思いの外遠い。。
行き方も複雑そうだったので、我々はその目的地をあっさりと放棄。
またテキトーに街をふらつくことにした。
ちょっと良さげな高層マンション地帯に迷い込んだが、
そこを抜けたらシカゴ川に出て、
その付近ではかぼちゃが大量に飾られている広場を垣間見ることができた。
そうか。
カナダにいる時から気づいてはいたが、
10月にアメリカをうろつくということは、
行く先々で様々なハロウィーン展示を見ることができるのか。
しかも10月31日のハロウィーン当日には少なくともアメリカのどこかの都市にいるはず。
本場のハロウィーンというものを味わうことができる。
なかなかいい時期にアメリカ横断をしているな、
と思い、またまた楽しみが1つ増えた気がした。
そのままシカゴ川沿いをゆっくりと歩いた。
川沿いには高層ビルが壁のように立ち並び、
それはまるで"近代版水の都ヴェネチア"とでも言いたくなるような光景。
シカゴの摩天楼群の中を堂々と流れているシカゴ川沿いの散歩を、
私は思いの外楽しむことができた。
ちなみに2枚目の写真向かって左側のトウモロコシのような円形ビルは、
その見た目の通り『コーンビル』と言われているらしい。
なかなか面白い建物だった。
川沿いにはアメリカ大統領選挙で何かと話題になっている
ドナルド・トランプが建設したトランプ・インターナショナル・ホテル・アンド・タワーがあった。
設計はあのドバイにある世界一高いビル、
ブルジュ・ハリファを担当したエイドリアン・スミスという人らしい。
2001年にドナルド・トランプが『世界一高いビルを建設する。』と発表したのだが、
直後にアメリカ同時多発テロが発生し規模を縮小。
何度も設計変更を繰り返し、2009年に完成した。
高さ415.1mは現在全米で3番目に高いビル。
テロを懸念して規模を縮小したのに、
自信が大統領となることでこのビルに飛行機が突っ込む、
なんてことが起きなければいいのだが。。
シカゴ川沿い散歩の後は、
相方が寒いからココアが飲みたいというのでマクドナルドとか、どこか適当にココアが飲めそうなところを探した。
なんかのビルの中に入って、
相方は結局ダンキンドーナッツのココアを購入していたが、
その味は微妙なものだったらしい。
カナダの誇りティム・ホートンズで飲んだ比較的濃厚なホットチョコレートの味が恋しいという。
そういえば、
デトロイトでは幾つか存在していたティムも、
ここシカゴまでは勢力が伸びていないようだ。
それにしても、建物の中は暖かい。
日が沈みさらに気温を下げたシカゴの街に再び繰り出すのは、建物に入ってから1時間ほど経ってからになった。
19時。
重い腰をようやくあげ、暖かい建物内から寒さが身にしみるシカゴの街へ再び出た。
やはり日中に比べだいぶ気温は低くなっていたが、
空は暗くなり、キラキラと光を身にまとうようになっていた摩天楼の輝きが我々の心を温めてくれる。
川沿いにそびえる摩天楼の夜景は息をのむほど美しい。
再び川沿いを歩き、その壮大かつ優美な摩天楼の夜景に圧倒され、そして魅了された。
こんなにもすごい夜景を毎日見ながら帰宅するシカゴのサラリーマンが少しだけうらやましくなった。
しかしきっと、これほどの絶景でも毎日見ていれば飽きてきてしまのだろう。
世の中に毎日見ていても飽きないものなど存在するのだろうか?
なんてことを言うと相方に怒られるだろうか。。
川沿いを外れて歩いていると、目の前に派手な電飾がチカチカしている建物が現れた。
テレビや映画など、どこかで見たことがある気がするこの建物は
シカゴ・シアター(シカゴ劇場)という1921年に作られた歴史ある劇場。
ニューヨークのブロードウェイで長年人気を集めている
『CHICAGO (シカゴ)』の舞台となっていることで有名。
創立当初は映画上映が中心に行われていて、
その豪華な外観は当時最新アトラクションと称されていた"映画"のイメージに合わせたものだという。
(おそらく外観だけではなく内装も豪華なものなのだろう。)
1985年、経営難により一度幕を降ろすが、
翌年の1986年には改善を施し営業を再開する。
再開場の際、
この劇場をこよなく愛していたというフランク・シナトラがゲストとして呼ばれ、
そこでのシナトラのコンサートはシカゴだけでなくアメリカ中で話題となったのだという。
現在は映画上映は行っておらず、
コンサートやショウ、ミュージカルなどのパフォーマンスが行なわれている。
1日3回、
15ドル(約1545円)ほどで1時間程度の劇場内部ツアーも行われているらしい。
シカゴ・シアター目の前にはアメリカのニュース番組制作会社、
abcニュースのスタジオがあり、
窓ガラスからは生放送の様子が見学できた。
私たちのような野次馬が目の前うろちょろ横切る中、
よく気を散らさずに報道に集中できるな、
と、プロの仕事に感心する。
カメラが回っていない時にはキャスター同士が談笑したり、
外で手を振る野次馬に手を振り返したりもしていた。
なぜか私が手を振った時には振り返してくれなかった。
そりゃ1日何人もいるであろうそのような野次馬全員に反応を示していてはさすがに身が持たないだろう。
何も私だけが無視されたわけではない。
そう信じよう。
シカゴシアターやabcニュースを通り過ぎ向かったのは、
シェッド水族館というところ。
そこへ行く途中、
バッキンガム噴水が綺麗にライトアップされていたので立ち寄った。
噴水単体のライトアップだけでも十分綺麗だったが、
摩天楼を背景にすることによりそのゴージャスさは何十倍もアップする。
定期的に青、紫、緑、赤、などとゆっくり色を変える噴水は見ていて飽きない。
ここには偶然立ち寄ったのだが、
ここは是非とも訪れたい夜景スポットの一つに数えられるのではないか。
もはや川沿いやバッキンガム噴水での夜景だけでお腹いっぱい。
寒さや街歩きによる疲労感も覚えていた。
しかし是非ともこの素晴らしい夜景の全体像を見たい
ということで、
最後の力を振り絞ってシェッド水族館へと向かった。
そう。
このシェッド水族館隣の波止場からは五大湖の1つ"ミシガン湖"を挟んでのシカゴの摩天楼の夜景が拝めるのだ。
バッキンガム噴水から水族館までは徒歩で約25分。
疲労感と戦いながら到達した波止場からは、
やはり美しくライトアップされている摩天楼がずらりと、幅広く立ち並んでいた。
しかもこの水族館の波止場にはほとんど人がおらず、
ゆっくりと静かに夜景を味わうにはもってこいの穴場的スポットだった。
ここからの夜景もじっくりと味わいたかったが、
人通りも灯りも少ないこの波止場でボーッとするには少々気温が低すぎた。
時刻は20時30分。
帰りのことも考え、ここは早めに夜景鑑賞を切り上げた。
またあの光り輝く摩天楼群を目指し歩き始める。
私が今までシカゴについて知っていたことといえば、
ミレニアムパークのザ・ビーンと映画ホームアローン
(主人公ケヴィンの家はシカゴにある設定)
そこに相方の知識を合わせたとしても、
せいぜいシカゴピザ(西日本中心に店舗展開するピザチェーン)が加わる程度のものだった。
今回実際に訪れてみて、
"摩天楼とその夜景"
というものが我々のシカゴ知識の中に加わり、
さらにそれはシカゴの中でも群を抜いて1番の見所になるものなのではないかと感じた。
数時間しか観光をしていない私が言うのはあまり参考にならないかもしれないが、
シカゴに来たら摩天楼と夜景だけ見ればそれだけで来た価値がある。
そう思えるほどのものだった。
(シカゴ名物シカゴピザもマスト。)
これはもしかしたらニューヨークの夜景を超えたかもしれない。
寒さに震えながらの帰り道。
『ホットドリンク1ドル!』を訴えるセブンイレブンの広告が目に入った。
何か温かいものでも飲もうと、
我々はその広告に惹きつけられセブンイレブンの店内へと入た。
すると、
『oo時〜oo時はどのサイズ、どのドリンクでも1ドル!』
と書いてあるではないか。
幸運にも、今はその oo時〜oo時の時間帯 に当てはまっている。
しかし、
日本でのコップ購入後セルフスタイル、
もしくはレジ注文後店員に全委任スタイル
が常識となっている私にとって、
すでにコップがドリンクバー横に用意されているアメリカの完全セルフスタイルは馴染みのないも。
”これは勝手に入れてしまっていいものなのか?”
と、その購入の仕方を多少なりとも考えなければならなかった。
とりあえず私は一番大きいサイズのカップを手に取り、
ドリンクバーでホットチョコレートを少し注ぎ店員や周りの人の反応をうかがった。
何か間違っていることをしていれば誰かしらがガン見してくるだろう。
でもこの時特に視線を感じなかったので、やはりこのやり方が正解だと解釈した。
調子付いた私は注いだホットチョコレートをズズっとすすってその場で味見をしてみた。
これでも特に周りからの視線を感じない。
完全に調子に乗った私は、
他の種類のドリンクも少量注ぎ、それも味見をしてみた。
これにも特に周囲からの反応はない。。
ファストフード店でドリンク1杯を頼めばお代わり自由のドリンクバー状態になるということからも、
どうやらアメリカはドリンクに関してかなり寛大な国のようだ。
さすがに味見をしたのは1種類のみで、
その後はホットチョコレートをこの大きなカップいっぱいに注ぎ込みそれをレジに持って行った。
料金は税込み1.09ドル(約112円)と、本当にどのサイズでも1ドルだった。
夕方、ダンキンドーナッツで美味しくないホットチョコレートを購入していた相方は、
値段も味も量もそれを上回るセブンイレブンのホットチョコレートを購入した私を見て少し悔しがっていた。
店によってこのサービスの有無は分かれるようだが、
これから先もこんなセブンイレブンがたくさんあることを期待したい。
時刻は21時50分。
ユニオンステーションから出るBNSFという行きとは違う電車に乗り宿へ帰ることにした。
料金は1人5ドル(約515円)なので行きと全く変わらないが、
この電車だと乗り換えの必要がない。
切符販売機で切符を購入し、運行スケジュールの電光掲示板を見ると、
我々が乗る電車の出発はまだ30分以上先ということがわかった。
寒さと疲労にやられ一刻も早く帰りたい状態になっているので、
その30分以上という時間はあまりにも長いものに感じた。
しかも、我々が乗る電車が発着するはずの12番ホームが周りに見当たらない。。
”いったいどこから乗ればいいのだ?”
そう思いホーム番号を見ながらあたりを歩き回っていると、
このエリアにあるホームが全て奇数番号のものであることに気が付く。
ということは、どこかに偶数番号のホームが集まっているエリアがあるはず。
しかもそれはそう遠くないはずだ。
そう思いまたあたりを歩き回ってみると、それは来た道を戻ったところにあった。
やれやれ、あとはこの12番ホームの前で電車を待つだけだ、
と、ため息をついて発車時間を待った。
それにしても、わざわざ偶数番と奇数番でホームの場所を分けないでくれ。
普通に番号順に並べれば良いではないか。
22時30分ごろ。
いつの間にか12番ホームに停まっていた"Aurora"とかいう電車に乗り込んだ。
車内は2階建てになっており、
行きに使用したメトロ規模の電車と比べたらはるかに立派なもの。
たかが宿に帰るだけの電車にしては少々大げさな気もした。
電車が宿の最寄駅であるBrookfield駅に到着するまでの約30分の間、
我々は疲労のためいつの間にか眠ってしまっていた。
ぼんやりと目を覚ました時には電車は何処かの駅に停車中。
グーグルマップで現在地を確認してみると、
そこは我々が下車するBrookfield駅ではないか。
”やばい!”
慌てて荷物を取り席を立ち、
ギリギリのところで電車からの脱出に成功した。
もしここで乗り過ごしていたら、
ここへ戻ってくるための電車はまた何十分後、、
いや、下手したらもうなかったかもしれない。。
もしそうなっていたら、
シカゴピザや摩天楼にあれだけ感動させられたこのシカゴの街を最後の最後で嫌いになっていただろう。
そのくらい疲労がたまっていた。
下車したところには改札もなく、
駅というよりはただ踏切があるところといった感じ。
それにしても、
列車が通る時に鳴らされるあの爆音の警告音は踏切から鳴らしているのか?それとも列車からなのか?
どちらにせよ、こんな夜中にあの爆音は絶対近所迷惑だろう。
駅から宿まではすでに暗くなった住宅地を抜けて約10分。
宿に着いた時にはもう23時30分になっていた。
シャワーは翌朝へ回すこととし、
ベッドにダイブした私はいつの間にか深い眠りについた。
▼次回記事(ナッシュビルへ)
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