予想以上に時間はかかってしまったが、
なんとかナパニーへ行く交通手段であるレンタカーを借りることができた。
あとはひたすら進路を東にとり、約220km先にある町ナパニーを目指す。
下道では危うく信号無視という危なっかしさを見せつけてしまった私だが、
ハイウェイという日本でいう高速道路にあたる道路に入れば運転はかなり楽なものになり、少しずつ慣れていき余裕が出てきた。
難しいのは最初の数十分で、慣れてしまえば後は日本とさほど変わらない。
過去にロス、スペインで運転をした時もまったく同じ感覚だったことを覚えている。
海外での運転など、所詮はそんなものだ。
ちなみに、
アメリカやカナダでは日本と違い基本的にハイウェイは無料。
(スペインもほぼ無料だった。)
たまにToll Roadという有料区間もあるが、今回の道順にそのような区間は存在しない。
今の日本でそんなことをしたら渋滞や排気ガス、公共交通機関の利用率低下などいろんな問題が起こってしまうだろうが、
やはり高速が無料になったらいち利用者として単純に嬉しい。
また、高速道路無料化計画が浮上してこないかな。。
▼前回の記事
思えば朝食も昼食もろくに食べていない。
途中のサービスエリアで休憩をした。
スタバやバーガーキング などのファストフード店が並ぶ中、
ティム・ホートンズはダントツの人気を誇り行列ができている。
この現象は何もここだけのことではなく、トロントの街中をみても同じである。
バンクーバーでは圧倒的にスタバのシェアが高かったが、
トロントではそれは完全に逆転している。
聞いた話によると、ティムはカナダ人の誇りなのだとか。
他の都市がどうなのかはわからないが、
バンクーバーのことを考えると"カナダ人の"というよりは"トロントの誇り"なのではないかと思ってしまう。
それともスタバ発祥の地シアトルに近いバンクーバーがカナダでは例外的存在なのだろうか?
とにかく、
トロントエリアではマックもスタバも寄せ付けない圧倒的なシェアを獲得しているティムは、
フィリピンで言うところのJollibee(ジョリビー)的存在と言っても過言ではないだろう。
さすがにティムの行列に並んでいる暇はなかったので、
私は空いているバーガーキングでバーベキューポークバーガー的なものを3.75カナダドル(約292円)で購入した。
ところで、カナダでは英語とともにフランス語も公用語として定められている。
ここのバーガーキングの店頭メニューは英語とフランス語が交互に表示されるようになっていたのだが、
私が文字を見ながら注文しようとした瞬間にメニューがフランス語に切り替わりやがった。
そのため、注文するのに非常に手こずったのを覚えている。。
ちなみに私が頼んだバーベキューポークバーガー的なものはフランス語で
『AU PORC EFFILOCHE』と表示されていた。
こんなもの、突然の状況でサラッと読めるはずがない。
繰り返しになるが、日没まで時間がないので簡単な食事とトイレを済ませたらすぐに再出発。
それにしても、この車何度見てもデカイ。
車に疎い私はこの時、これがシボレー車だということを全く知らずに運転していた。
再出発後もひたすら東に進み続けると、ようやく案内標識に Napanee(ナパニー) の文字が現れてきた。
これには私たちのテンションも上がらずにはいられない。
ここでBGMをアヴリル・ラヴィーンがナパニーについて歌った『My World』という歌に切り替え、さらにテンションを上げる。
この『My World』の歌の中でアヴリルは"人口5000人の小さな町で育った"と歌っているのだが、
見ての通り看板には人口16000人と表示されていた。
まさかこの10年20年の間に人口が3倍以上も増えたとでもいうのか?
それとも合併か?
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テンション上がりっぱなしの中、ついにインターを降りてナパニーの町にやってきた。
日没までにはなんとか間に合ったぞ。
”まさか本当に今日ここにたどり着くことができるとは。。”
何時間か前の絶望的な状況からは思いもよらなかった。
本当、諦めなくてよかった。
なんてことを思いながら、
涙は出ないもののなかなかの感動を味わい、とりあえず街のメイン通りであろうところにあったティムに入り一息ついた。
歩道に植えてある木の紅葉が綺麗だったので写真を撮っていると、地元民であろう人からの視線を感じた。
そうだよな、
こんな田舎に突然アジア人が来て歩道の木の写真なんて撮っていたら、そりゃ目がいっちゃうよな。
比較的大きな都市ばかりを巡ってきた私は、この時久々にアウェイ感を感じた。
ティムを出たらとりあえずこのメイン通りを歩いて散策。
田舎ということは知っていたが、本当に田舎だった。
サンクスギビングデーの影響もあるのか。
メイン通りはシャッター通りと化し人通りも少なく随分と寂しいものだった。
そんな中私たちは "Napanee" と書かれているものを発見するたびにテンションを上げ、
写真を撮りながらこの閑散としたメイン通りを歩き進んで行った。
このような観光の仕方はアヴリルのことが好きな人以外にはなかなか難しいだろう。
というか、
アヴリルのファンでもないのにこの町を訪れるアジア人などおそらくいないだろう。
町には小さいながらハロウィーンの装飾が見られた。
都会の大規模なハロウィン装飾よりも、
このような小さな町のどこか温かみのある素朴な装飾からの方が昔ながらのリアルなハロウィーン文化が伝わってきてむしろ良い。
なーんて思ったりもする。
メイン通りを南西方向へ歩いていくと、『La PIZZERIA』というピザ屋がある。
ここはナパニーに訪れたら必ず訪れたい店で、
なんでもアヴリルが昔よく通っていたピザ屋だという。
アヴリルのポスターやサインが飾ってあるのはもちろんの事、
"Avril Lavigne's Special Pizza"というメニューもあるそうなのでファンにはたまらない場所になるだろう。
◎『La PIZZERIA』の場所↓↓
もちろん、アヴリルファンである私たちもこの店でそのピザを食べることを、
本日のナパニー観光における最大の目的としていた。
しかし、不運にも今日はサンクスギビングデー連休。
アメリカでは11月の第4週の木曜日がそれにあたるのだが、
カナダでは10月の第2月曜日となっているらしい。
朝から薄々予想はしていたが、その悪い予想は的中して店はお休みだった。。
営業時間をよく見てみると日曜定休だったので、今日がサンクスギビングでなくとも休みだったのだが。。
悔しさがこみ上げる中、せめてもの記念として店内を覗き込み雰囲気だけでも味うことに努めた。
確かにアヴリルのポスターがたくさん飾ってある様子。
どっかの椅子にはアヴリルのサインが書かれているらしい。
店を覗き込み写真を撮っていると、店の前を通りかかった地元の奥さんが私たちに話しかけてきてくれた。
『あなたたち一緒に写真を撮ってあげましょうか?』
『お、ぜひお願いします!私たちはアヴリル・ラヴィーンの大ファンなんです!』
『そうでしょうね、実はちょっと前からあなたたちの様子を見ていて、そうだろうと思ってたわ。』
どうやら少し前から店内を覗き込んでバシバシ写真をとっているところを見られていたらしい。
はたから見たら随分怪しい人たちに見えたことだろう。
『残念ながら今日はお休みなの。そんなにファンなら是非ここのオーナーに会ってもらいたかったわ。きっとアヴリルのことをたくさん話してくれたでしょう。』
『いやー、それは本当に残念です。』
『ところで、私はアヴリルと一緒の学校に通ってたのよ。もちろん、私は彼女よりだいぶ先輩になるんだけどね(笑)』
『本当ですか!?』
”すげーっ!”
と思ったのは最初だけ。
よく考えてみればこんな小さな町であれば行く学校が皆大体同じになるのは当然である。
『ところで奥さん、アヴリルの家ってどこにあったか知ってますか?』
こんなに小さな町で、しかも同じ学校に通っていたのなら、
この町出身の世界的有名人が住んでいた家の場所くらい知っているだろう、
と、私は結構な期待を込めて聞いてみた。
『ごめんなさい、それはわからないわ。』
”まじかー。”
この町1番の有名人であろう人の家を、むしろなんで知らないんだ。。
学校やナパニーの看板の場所など他にも聞きたいことはあったのだが、
このまさかの返答から次に聞くべきことが頭に浮かばなくなってしまった私は、
その後軽い会話をしてその奥さんと別れた。
有益な情報を得られなかった私たちだが、今度は車で街をドライブしながら『ナパニーの看板』を探した。
そして、
Napanee MOTEL というモーテルの向かい側付近に1つ目の看板を見つけることができた。
もちろんここでもバッチリと記念撮影をし、
その後もう1つあるという看板を探したのだが、結局それを見つけることはできなかった。
◎ナパニーモーテルの場所↓↓
日が沈みあたりが薄暗くなってきた頃に到着したのが、
NAPANEE DISTRICT SECONDARY SCHOOL という学校。
おそらく先ほどの奥さんが言っていたのはこの学校のことだろう、と勝手に思っている。
◎学校の場所↓↓
果敢に校内への侵入を試みたが、もちろんしっかりと施錠がされており中には入れない。
ここでも私たちはガラス窓から校内を覗き込み、雰囲気を味わうことに努めた。
幼少期から活発だったというアヴリルは、この廊下でもスケボーを乗り回していたのだろうか?
いや、さすがにそれはないかな。
などと想像を膨らませながら校内を外から見学。
ある空間にはいつかの卒業生一同の顔写真が飾られていた。
いつの時代のものなのか、肝心なところが観葉植物で隠れていて確認できない。
私たちは必死になってアヴリルの写真を探したが、見える範囲に彼女は存在していなかった。
アヴリルの世代のものでないとすると、いったいいつの世のものなのだ?
アヴリルを超える偉大な人物がいるというのか?
学校の看板には『WE RULE WE ROCK!!!』というフレーズが浮かび上がる。
次に向かったのはナパニー駅。
全く活気のない駅だった。
トロントからだと夕方に2本ほどこの駅にとまる便があるらしいが、
本当にこんなところにとまる電車などあるのか?と思うくらい廃れている。
その雰囲気は『この駅はもう廃止になったんだ』と言われても全く違和感を感じないであろうものだった。
ナパニー駅を後にしたら、再びメイン通りのティムに戻り作戦会議。
駐車場があり、Napanee Wi-Fiと表示される町の公共電波がつながりやすいここのティムは私たちの行動の中心地となっていた。
何かナパニーを感じさせるグッズが欲しいと思い向かったのは、
北西方向に少し走ったところにあるNAPANEE MALLというところ。
しかし残念ながら今日はもう閉店していた。
ダメ元で入った隣のスーパーにも特にナパニーを感じさせるものは存在せず、
もちろんアヴリル・ラヴィーンに関するものも一切存在しなかった。
あったのはおそらくナパニーとは何の関係もないであろうビートルズの記念ディスプレイだけだ。
今回実際にナパニーを訪れてみた結果、
町でアヴリルを推しているのはあの『La PIZZERIA』だけだった。
いったいナパニーの人たちはアヴリル・ラヴィーンと言う人物をどの程度の偉人として捉えているのだろうか?
時刻は20時。
そろそろということで私たちはナパニーを出てトロントへ戻った。
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行きより帰りの方が早く感じるのはいつものこと。
トロントに着きガソリンを50カナダドル(約3900円)分入れたら、
47.214リットル入った。
リッター1.059カナダドル(約82.6円)ということだ。
安くてもリッター100円は超えてくる日本と比べたら破格の値段だな。
給油後、
レンタカーを返却するつもりだったが店はすでに閉店していたため、レンタカー屋の駐車場に車だけ置いて地下鉄でトロント中心部へと戻った。
寿司などの和食食べ放題の店で晩御飯を食べる予定だったが、
到着した時にはちょうど閉店時間の0:00になっていてそこは断念。
結局私の宿があるクリスティー駅まで行き、コリアンタウンで韓国料理を食べた。
韓国料理はボリューミーでうまいが、出てくるもののほとんどが辛かった。
注文がうまく伝わっておらず1品余分に出てきてしまったので、
この日の晩御飯はお腹いっぱい食べることができた。
ちなみに手前の肉の鉄板焼きとご飯で10カナダドル(約780円)ほど。
しかも韓国では当たり前のことだがキムチなどの小皿は全てサービスである。
食べ終わるとお腹の中が燃えているようにポカポカした。
久々に韓国料理の凄まじさを感じた。
この後私はすぐそこにある宿に戻り、
みゆきさんも地下鉄で数駅ほど行ったところにあるという家へ帰った。
家に帰った時相方はまだ起きており、今日ひとりで何をしたのかを語ってくれた。
なんでも昼食時に行ったティム・ホートンズで英会話力の乏しさから注文がうまくできず、
頼んだものと違うものが出てきたことに相当なショックを受けたのだという。
一人じゃ注文もうまくできないんだな、と、ひとりで行動してみて色々と刺激を受けてきた様子。
まぁ、それはそれでいい経験になったのではないだろうか。
明日は朝レンタカーの返却手続きをしに再びAVISレンタカーへ行き、
そこからバスに乗り世界三大瀑布の1つであるナイアガラの滝を目指す予定。
▼次回記事(ナイアガラの滝へ)
▼アメリカ横断まとめ【完全版】