昨日はプノンペン第1日目として、川沿い散歩やイオンモール、ナイトマーケットなどを散策した。
昨日は昇り立ての朝日を拝むことに失敗したので、
本日は昨日よりも30分ほど早く宿を出て早朝の散歩に出かけた。
(1ドル=約114円 1リエル=約0.028円 2017年3月11日。)
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朝6時30分に宿を出たら、ちょうど昇り立ての綺麗な朝日が顔を出していた。
朝日というよりは夕日にも見えるのは気のせいだろうか。
じわじわと登っていく朝日を見ながら、昨日と同じく川沿い散歩。
マッスルパーク近くでは地元のおばちゃん達が太極拳をやっていた。
なかなか統率がとれていて、見ているだけで楽しめた。
そして、朝日を見ながらマッスルパークで体を動かす。
今日も朝からいい運動になった。
この習慣、続けたら本当に健康な体を維持できそうだな。
日本にもこういう設備がもっとたくさんできたらいいのに。
7時40分ごろ宿に戻り、皆が朝食をとっている間にちょっと一休み。
人と行動時間帯をずらすのは、やはり気持ちがいい。
12時ごろロビーへ行き、
宿で販売している『Lok Lak(ロクラック)』というカンボジア名物料理を注文。
ここのキッチンの主と思われるおばちゃんが豪快に鍋を振らして作るロクラックが非常にうまそうで、一昨日から気になっていたのだ。
おばちゃんならばその姿を見なくても、料理を作る際に出る豪快な音だけで、
”あ、おばちゃんがロクラックを作っているな。”とわかるものだが、
この時は席で待っていても何の音も聞こえてこない。
30分近く待って、ようやく”ジュ〜”という音が優しく聞こえてきた。
この時点で、おばちゃんじゃないな、ということはわかった。
おばちゃんなら ”ジュワー!!ジュワー!!!” とビックリマークが何個もつくほどの大音量で鍋を振らすからな。
結局、40分ほどしてようやく注文したロクラックがテーブルに運ばれてきた。
(遅すぎる。)
作っていたのはどうやら若い娘のスタッフのようだ。
その味自体は悪くないが、料理がぬるいというのは致命的。
やはりおばちゃんが作った熱々のロクラックを食べてみたかったなぁ。
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13時すぎ。
今日のところはまだプノンペンの主要観光地であるキリングフィールドへ行くのはやめておいて、
とりあえず宿の近くにある『ワット・プノン』という寺院に足を運んだ。
中に入るのは有料(1ドル)だったので、とりあえずワット・プノンの外周を歩いて周った。
そこにはカメラでは収まらないほど大きな時計があったり。
マッキーをかじってシンナー中毒になっている猿を見たりした。
一周りして寺院を出ようとすると、ここでもトゥクトゥクの勧誘が。
どうせ明日にでも行く予定なので、参考までにキリングフィールド往復の値段を聞いてみた。
すると、『2人で往復20ドル(約2280円)だ。』と。
昨日道端で勧誘されたトゥクトゥクドライバーが2人で12ドル(約1368円)でいいと言っていたので、これはべらぼうに高い値段。
『他のトゥクトゥクドライバーは11ドル(約1254円)でいいと言っていたぞ。』
私は実際に言われていた値段よりも少し低い値段を提示して価格を叩いてみた。
すると渋い顔をした客引きとドライバーが少し協議を始め、
その結果、なんと『11ドルでいい。』と言ってきた。
相場を知りたかっただけなのでまさかのオッケーに少し戸惑ったが、
『でもキリングフィールドへは明日行く予定なんだ。』と言ってその場を離れようとした。
『11ドルは今すぐ行った場合の値段だ。』
客引きはそう言ってきた。
私は『それじゃあダメだな。』と言ってその場を立ち去ろうとしたが、
冷静に考えてみると今この時間に出発しても、まだギリギリキリングフィールドを観光できそう。
(現在13時40分。キリングフィールドは17時まで。行くのに30分。見学に2時間。)
それに今この流れなら、さらなる値引交渉ができそうだ。
『わかった。2人で往復10ドルにしてくれたら今すぐにでも行くよ。』
私はそう言って少し駆け引きをしてみた。
すると、すんなりとOKが出てた。
そうと決まれば早速トゥクトゥクに乗り込み、急遽キリングフィールドへ。
所持金があまりなかったので、まずはATMに寄ってもらい100ドルを下ろす。
ATM手数料は4ドル(約456円)だった。
気を取り直してキリングフィールドへ出発。
交渉成立後客引きのおっちゃんが紹介したのは、まだ若い誠実そうな兄ちゃんドライバー。
我々の勝手な想像では、
彼はまだ新人ドライバーで、キリングフィールドまでは今回が初めての仕事。
だから金よりはまず経験、ということで、この値段でも引き受けてくれたのだ。
(あくまでも勝手な妄想。)
見よ、この誠実そうな青年を。
比較的清潔そうな純白なシャツを身にまとい、ピシッと背筋が伸びている。
安全運転を心がけているのか、
彼が運転するトゥクトゥクは他の車両よりもすこぶるスピードが遅かった。
途中、独立記念碑が立っているスクエアを通った。
キリングフィールドまでは結構遠い。
交通量の少ない道になってきても、なかなかたどり着く気配がない。
14時30分。
ようやくキリングフィールドに到着。
ここでトゥクトゥクドライバーに
『何時くらいに戻ってきたらいい?』と聞くと、
『It's up to you.(あなた次第だよ。)』と。
なんっていい兄ちゃんなんだ。
彼は新人だから、まだ観光客のぼり方をわかってないな。
ちなみに、
キリングフィールドは17時までオープンしているので、観光時間は残りあと2時間30分。
十分だ。
▼キリングフィールドの場所
エントランスで1人6ドル(約684円)を支払う。
クレジットカードは使用できない。
100ドル札で支払ったら、5万リエル(約1400円)くらいを織り交ぜたお釣りが返ってきた。
ドルが主流なのになんでこうなるんだ。
6ドルの入場料に、オーディオガイドが付いてくる。日本語にも対応。
オーディオガイドをを聴きながらキリングフィールドの敷地内を順番に周っていく。
簡単にキリングフィールドについて説明すると、、
キリングフィールド(The Killing Fields)とは独裁者ポル・ポトの政権下で大量虐殺が行われた処刑場跡。
カンボジア各地に300以上存在するらしく、
ここプノンペンのものはその中でも最も有名なものなのらしい。
大量虐殺と聞くとナチスのアウシュヴィッツ収容所を思い浮かべるが、
ここキリングフィールドの場合はカンボジア人がカンボジア人を虐殺する、
という、ちょっと考えられないようなものであった。
当時のカンボジア全人口の約3分の1にも及ぶ、
約300万人のカンボジア人が同胞の手によって虐殺された。
街で見るカンボジア人が若者ばかりであまり老人を見ないのは、
この時に大量に殺されてしまっているからということか。
人口ピラミッドをごっそりと侵食してしまうほどの大量虐殺だったのだ。
虐殺の対象となったのは、
ポル・ポトの政治に対する反対勢力になりうるという理由で、 教育を受けた知識人や伝統文化継承者、宗教関係者たち。
単にメガネをかけていただけで処刑された人もいるのだとか。
そんなむごいことが起きたのは1975年頃(約40年前)と割と最近。
しかし、そんな時代にカンボジアでこのような大量虐殺があったということは、
日本人にはあまり馴染みのないことではないだろうか。
実際、私もつい数日前に宿でキリングフィールドについて聞くまで、そんなこと全く知らなかったし。
この木のギザギザの部分をノコギリのように使って処刑を行っていたのだという。
本来は鶏の喉を切り裂くのに使われるそうなのだが、
処刑用の武器を揃える十分なお金がなかったから、このような植物も武器として活用していたらしい。
むごい。。
キリングフィールド内にはまだ処刑された人たちの骨や歯の破片が埋まっていたり、
その辺に転がっているらしく、目をこらすと実際にそれらが見える。
ドイツのダッハウ収容所を見てきた私は、このキリングフィールドもダッハウ収容所のように広い敷地なのだろうと想像していたが、
実際キリングフィールド内は私の想像よりもはるかに狭かった。
畑、処刑所、埋葬所などの距離が近く、本当にここが大量殺戮所なのか、と思うほど狭い。
そんな狭い敷地内にいくつも穴が掘られ、2万人を超える死体が埋められたのだという。
大量の死体からは腐敗によるガスが出てきて掘った穴が丘のように膨れ上がり、
そこからはひどい悪臭が発生していたという。
当時の悲惨さを忘れないようにか、処刑された人たちが着ていた衣類や骨などがしっかりと保管・展示されている。
衣類の大きさから、ここでは子供も処刑されていたのだな、ということがわかる。
さらにこれらの衣類は、手を縛ったり首を絞めたりする虐殺の道具としても使われたらしい。
あまりのやりたい放題さに言葉が出ない。。
これは『Killing Tree(キリングツリー)』と呼ばれている木。
先ほど子供も処刑されていたと述べたが、
このキリングツリーでは赤ん坊が処刑されていた。
しかもその方法というのが聞くに堪えないもので、
この木に赤ん坊の頭を強く打ち付けて処刑していったのだそう。
発見当時、この木にはその際飛び散った血や脳の跡が残っていたという。
その他にも、敷地内に設置されたスピーカーからは昼間の強制労働を鼓舞するため、
さらには処刑による断末魔の叫びをかき消すため大音量で音楽が流れていたのだという。
オーディオガイドでは、そのとき流れていた音楽と周囲の音を再現した音が流された。
さらには女性は処刑前には全裸にさせられたというし、
食べ物に薬品を混ぜて飢餓状態の者がそれを食べてしまうように仕向けていたというし、
その薬品には死体の悪臭を消す目的もあったというし、
食事は1日2度のおかゆのみだったというし、、
聞くに堪えない話は続いてゆく。。
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実際に敷地を歩いてみると、オーディオの音声がなかったらすごくのどかな雰囲気。
とてもここでおぞましい大量虐殺が起こったとは思えない。
逆に言うと、
オーディオガイドをちゃんと聞かないとただ単に木と土が広がる広場を歩いているだけの状態になってしまう。
そのくらい、本当にのどかな雰囲気だった。
一通りオーディオガイドを聴き終えキリングフィールド内を周ったら、最初に見たシンボル的な塔へ。
これは処刑された人たちの遺骨が大量に収められている慰霊塔。
塔の壁の四方にはびっしりと骸骨が収まっている。
この骸骨は17段の棚で積み重なっている。
4月17日。ポル・ポトが攻め込んできた日付『17日』を意味しているのだという。
骸骨の下には、実際に処刑に使われた武器(主に農機具)も展示されていて、
この骸骨の傷はこの農機具によるもの、という説明がされていた。
この農機具が使われたのも、銃の値段が高くて費用がかかるから、という理由によるもの。
どっちの方がひどいと比べるつもりはないけど、
毒ガスなどを使用していたナチスの虐殺方法より、
農機具を振り回して打撃で殺すというアナログ的な方法は、痛みや辛さをなんとなく想像しやすく思わず顔が歪む。
一通りキリングフィールドを見学したら、同じく敷地内にあった資料館のようなところへ。
こちらはキリングフィールド入場料に含まれているので出入り自由。
ポル・ポトの生い立ちなど、当時の歴史を資料を通して学べる。
16時30分。
すべて見学し終えてトゥクトゥクドライバーのもとへ。
やはり真面目な新人ドライバーなのか、
我々が戻るとしゃがみこんでバイクの点検らしきことをしていた。
帰り道、こっそり3ショットを撮影。
17時20分。王宮前。
やはりカンボジアは夕日がオレンジで綺麗。
この時間帯、この通りではラッシュが起きて大渋滞。
そしてこの新人ドライバーは我々のホステル(One Step Hostel)を知らないというので、ナイトマーケット前で降ろしてもらった。
料金は本当に2人で10ドル(約1140円)だった。
17時30分。
宿目の前のコンビニで水を0.6ドル(約68円)で買い、宿へ帰宅。
宿の無料セルフコーヒーを飲みながらロビーでくつろぐ。
ちなみにこの無料コーヒーの存在知っていたのは、おそらくこの宿のゲストの中で我々のみ。
我々はスタッフに教えてもらったのだが、他の人はなんで知らないんだろう。
19時30分。
今日もおととい同様、キッチンでパスタ。
今度こそ宿の人の仕事の邪魔にならないようにタイミングを見計らい、迅速に調理。
今回も具材玉ねぎのみのオニオンパスタ。
2周目から持ってきた秘密兵器、『3つ星シェフの隠し味』を振りかければそれなりの味になる。
夕食後は宿のシェイクを注文。
フルーツミックスのシェイクが1つ1ドル(約114円)。
種みたいなの(パッションフルーツ)がピリ辛だが、味が濃くてすごくうまかった。
21時頃、部屋に戻りシャワーを浴び、今日は就寝した。
明日も早朝散歩をする予定。
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