12月28日水曜日。今年(2016年)も残すところあと3日。
正直海外にいると年末感を全く感じられない。
(クリスマス感は今でも町に存在しているが。)
日本で感じるあの年末年始感はテレビの特番やコマーシャルの影響がすごく強いんだなということを実感している。
今日はヒップホップ発祥の地ブロンクス地区を地下鉄と徒歩を駆使して散策する予定。
(1ドル=約117円 2016年12月28日。)
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朝9時過ぎに起床。
ニューヨークにいる期間は早起きとは無縁の生活リズムが続いた。
10時20分。朝食。
昨晩ブロンクスのスーパー『ALDI(アルディ)』で購入した食材を使う。
12時。
相方はヒップホップには興味がないし、たくさん歩き回るのは嫌だから宿で待機していることに。
私一人でブロンクス、ヒップホップゆかりの地巡りに出かける。
今更だが、ブロンクス地区では黒人人口が圧倒的に多い。
外で白人を見ることなんて滅多になかった。
12時30分。
地下鉄に乗りまず到着したのは174 Street駅。
ここで目指すのはストリートアートのメッカとも言われる
『Bronx Graffiti Wall of Fame』という壁画スポット。
駅を出て歩くこと数分。
グーグルマップで表示された場所に来てみるも、閑散としていて特に何かがあるような雰囲気ではない。
適当に近くを歩いてみると、すぐそこにこのような壁画の通りがあった。
これがBronx Graffiti Wall of Fameなのかどうかは正直わからない。
ネットで見た絵とはなんか違うような気がするが。。
とてもこれだけでストリートアートのメッカと名乗るのは寂しすぎる。
もう少し近辺を歩いてみたが、他に壁画がたくさん描かれたような場所は発見できなかった。
あてもなく壁画群を求めて歩き回るような気分ではなかったので、ここだけ見て再び地下鉄に乗り込み次の目的地へと向かった。
◎私が行ったBronx Graffiti Wall of Fame ↓↓
*改めて調べてみると、ここの可能性も。。もはやブロンクスではない。↓↓
地下鉄駅でのワンシーン。
おそらく酔いつぶれた男がプラットホームに寝転がり動こうとせず、警察のお世話になっているのだろう。
これを見たときは『治安よくねぇなぁ。。』と感じた。
でもこのくらいのこと、日本でもあるか。
どちらにせよ、特にこちらに危害が加わるものではなかったのでよかった。
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13時15分。
地下鉄に乗って次に下車したのはMt Eden Av 駅。
ここからハーレム川の方へ徒歩20分ほど歩き、
今回のブロンクス観光の個人的目玉である1520 Sedgwick Avenueというアパートへ向かう。
このアパートの一室で行われた音楽パーティーこそ、
”ヒップホップカルチャー誕生の瞬間”だと言われているのだ。
つまりはこのアパートこそが”ヒップホップの起源”ということになる。
グーグルマップを見ながら徒歩で目的のアパートへ向かう。
この建物の向こう側の通りに目的である1520 Sedgwick Avenueアパートがあるのだが、
この建物を超えるには大回りして周りこまなければならない。
それがめんどくさいと思った私は、
この扉から向こう側の通りに抜けることができるだろうと思いとりあえず扉から中へ入ってみる。
細い道が続いていた。
これを抜けたら向こう側に抜けれるはず。
残念。
道を抜けたら某アパートの裏側のゴミ置場だった。
ふと横を見ると、道が。
なるほど、あの道に違いない。
階段を降り、道を下る。
そして向こう側の通り(セジウィック・アベニュー)に抜けることに成功。
ちょっと歩くと、左手にはもう目的にしていた1520 Sedgwick Avenueアパートが。
これだ。ついにやってきた。
ヒップホップの生みの親とも言われるDJ Kool Herc(DJ クール・ハーク)ことClive Campbell(クライブ・キャンベル)は、
妹のシンディー・キャンベルが新しい洋服を買うお金を稼ぐために企画したパーティーのDJを務めることに。
1973年8月11日(ヒップホップの誕生日と言われている。)。
クール・ハークは父親のサウンドセットを借りてこのアパートの娯楽室でパーティーを開始。
今までに聞いたことのないくらいの爆音に人が集まり、このパーティーは大成功に終わったという。
このパーティーこそが、”ヒップホップカルチャー誕生の瞬間”だと言われているのだ。
その後クール・ハークは徐々に会場を中庭、公園へと移していき、毎月のようにパーティーが開催されるようになった。
これがいわゆる、ブロック・パーティーと呼ばれるものである。
そのブロック・パーティーを通して、クール・ハークはある重要な発見をする。
『客が一番盛り上がるのは曲の途中のドラムやパーカッションのリズムだけになるパートだ。』、と。
(いわゆる間奏部分)
そこで彼は2枚の同じレコードをターンテーブルにセットし、その盛り上がるパートだけを繰り返し再生。
(ループという手法)
”ブレイクビーツ誕生の瞬間” である。
このようにブロックパーティーやブレイクビーツなど現在のヒップホップカルチャー誕生に欠かせない要素は、
全てこのアパートの娯楽室で開催されたパーティーが起源となっている。
それゆえ、
この1520 Sedgwick Avenueアパートは”ヒップホップ発祥の地”として多くの人に認められているのだ。
ちなみに2017年6月、
このアパートがある通り『1520 Sedgwick Avenue』は正式に新たに『Hip Hop Blvd.』と命名されたらしい。
6月8日に行われたセレモニーには数々のヒップホップ界のベテランが集まりそれを祝ったのだとか。
次に訪れる時はぜひこの標識を見に行きたい。。
▼1520 Sedgwick Avenueのヒップホップ誕生のアパートの場所
アパートの中へ潜入を試みるも、正面玄関には鍵がかかっていて住居者以外は入れないようになっていた。
じっくりとヒップホップ誕生の地の雰囲気を噛み締めた後は近くの公園を訪れてみた。
先ほど紹介したブロックパーティーが行われていたのはこの公園か?
と想像を膨らませながら。
*ブロックパーティーの画像を検索して見てみた限り、上記写真の公園が濃厚。
アパート周辺にある公園を何個か散策。
十分にヒップホップ発祥の地の空気を肌で感じることができた。
ヒップホップに興味のない人にとっては何がいいのかわからないような何もない住宅地だったが、
ヒップホップ好きの方はニューヨークに来たらぜひ訪れていただきたい。
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ところで、
治安面が心配なブロンクス地区だが、
私が一人で歩いている限り治安の悪さは全く感じなかった(地下鉄の酔いつぶれ以外)。
まぁ、それは何も起こらなかったからこそ言える感想なのだが。
14時10分。
再び地下鉄駅に戻り、次なる目的地へ。
今日は短時間で地下鉄に乗りまくっているな。
本当に、乗り放題パスを買っておいてよかった。
もう十分に元は取っている。
14時20分。
167 ストリート駅で下車。
訪れたのはここ。
先ほど紹介したヒップホップの生みの親であるDJ クール・ハークの壁画が描かれているスポットだ。
場所的にはグランド・コンコースと166th ストリートの交差点。
◎DJ クール・ハークの壁画の場所↓↓
こちらがそのDJ クール・ハーク。
ドレッドヘアがジャマイカ移民だということを感じさせる。
その長身から高校時代は『ヘラクレス』とも呼ばれていたらしい。
この壁画は2013年、ヒップホップ誕生40周年を記念してニューヨークのグラフィティアート集団『タッツ・クルー』によって描かれたものだという。
このクール・ハークの壁画は、ブロンクスのヒップホップゆかりの地ツアーなどでは必ず訪れるであろう名所。
しかし私が訪れた時はこれを目当てにここを訪れている人は私以外皆無だった。
みんなただの通行人。
そんな人々を尻目に、私はこの壁画を数分間眺め続けた。
14時30分。
壁画からメトロで1駅。ヤンキースタジアムで下車。
ここがあのゴジラこと松井秀喜が長年プレイしていた球団『ニューヨーク・ヤンキース』の本拠地か。
偶然、今日はスタジアムでゲームが行われる様子で多くの人がスタジアム周辺に集まっていた。
とりあえず私はスタジアムの周りを一周し、ヤンキースタジアムの雰囲気を味わった。
14時50分。
ヤンキースタジアムをくるっと回ったらその足で宿へ戻る。
宿の目の前に古着屋のような大きな店があったので寄ってみたが、特に何もいいものは見つけられずすぐに店を出た。
15時。宿着。
そういえば昼飯を食っていなかったな。
お腹が減ったのでトーストを焼く。
(この宿にはトースターがある。トースターがなくフライパンでトーストを作らざるをえない宿が意外と多いので、トースター常備の宿はポイントが高い。)
コーヒーと一緒にいただき腹を満たす。
その後は作業用デスクでブログの更新をして時間を過ごした。
まだまだ、フロリダディズニーの記事が終わらない。。
20時20分。
相方が野菜たっぷりのパスタを作って持ってきてくれた。
今回は初めてキャベツを具に使用してみたが、キャベツがあるのとないのでだいぶ違う。
そしてやはりベーコンがいい味を出している。
美味しくいただきました。
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0時。
実は我々、このとき喧嘩をしていたのでお互いあまり会いたくない状況にあった。
だからパスタも出来上がったら呼ぶのではなくデスクに直接持ってくるという感じだったのだ。
部屋に戻るのがめんどくさくなった私は、
今夜はツリーが置いてあるリビングのソファーで一夜を明かすことに。
その後深夜何時頃だっただろうか。
私が寝ているとオーナーの奥さんが帰ってきて、寝ている私にブランケットをかけてくれたのを夢うつつに覚えている。
なんかお母さんにそっと布団をかけられたような、妙な安心感があった。
明日は、何しよう。。
とりあえず相方と仲直りすることが先決かな。
全てはその後動き出す。。
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